脊髄損傷との出会い
こんばんは。
私は脊髄損傷とバイメカを専門としていますが、今日はその脊髄損傷との出会いを書きます。
2年目の春、歳が同じくらいの脊髄損傷完全対麻痺の患者さんが入院してきました。
ボードでの受傷です。
それまで先輩の代診で脊髄損傷対麻痺患者さんと関わることはありましたが、担当になったのは初めてでした。
目指すべき身体機能はある程度明確なため、順調にリハが進んでいきましたがやはり問題は復職なんですよね。
いままでやっていた仕事、なりたくてなった職種、怪我をしなければその人にどんな未来が待っていたんだろうと考えると難しいですよね。
幸い職場の配慮もあり、その方は大工さんに復職しました。
車いすですが今でも現役です。
ただ、興味を持つきっかけになったのは退院間近になってから。
Th12の破裂骨折、残存高位L1の彼が長下肢装具のロックを外して歩けるようになってきたのです。
このまま上限なくリハを続けられたら、一体どこまで回復したのでしょうか。
残念ながらほどなく退院してしまったために、長下肢装具での歩行に戻ってしまいました。
その後、何人か不全対麻痺や四肢麻痺の方もみましたがやはり寝たきりだった人が歩いて帰ったり、全く下肢が動かなかった人が歩いて帰ったりする光景をみると、関われてよかったなあと思います。
しかし、私の住んでいる県、そして東北には脊髄損傷の専門病院が存在せず、関東や関西の研修会、学会での発表を聞くとレベルの差を痛感するばかりでした。
自分じゃない人が担当だったら、他の病院に入院していたらもっとよくなったんじゃないか、そんな可能性があるのが悔しかったんです。
負けず嫌いなんですよね。
そこで、まずは自分が専門病院で働いているスタッフと遜色ないくらいのPTになろう。
そのあと、この病院で可能な限り専門病院と同じ水準で患者さんをリハできるようになろう。
と考えるようになりました。
言うは易し行うは難し。
ひとまず認定を取ってみよう。
東北で1人でした。
いまでは学会で知り合った先生方とすこーしずつですが、東北の脊髄損傷リハを変えていこうと水面下で動いています。
専門病院との環境面の違いは仕方がないですが、患者さんがあっちの病院にいけばよかったと思わないように、可能な限り回復の手助けをしていけたらいいですね。
がんばっていきます。
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キウイ
すっきりした匂いで、これが1番万人ウケするかな!
理学療法士になるまで
こんばんは。ひろぽんです。
今日は私が理学療法士になろうと思ったきっかけについて書きます。
実は最初から理学療法士になりたかったわけではなく、高校時代には医者や薬剤師などの理系職種を考えていました。
また、学生時代に部活動で慢性的な腰痛を患っていたため、整骨院や鍼灸・マッサージ治療院に通うことが多かったのです。
そこからまずは、スポーツに関われる柔道整復師や鍼灸師といった職業に興味を持ちました。
しかし、在学していた高校が大学進学を勧めるところだったため、当時の浅はかな知識で「なんだか似通ってる理学療法士になるために大学進学しようかなー」と考えたのです。
「本当に柔整や鍼灸がやりたいなら卒業してから考えよー」と(笑)
今考えると恐ろしいですね(笑)
そんなこんなで大学進学し、2〜3年生くらいまでは考えは変わらず二刀流(PT、柔整もしくは鍼灸)になろうと思っていました。
しかし、そんな考えも実習が始まるとともに消えていきました。
「理学療法って面白い!」
整形の実習(クリニック)、中枢の実習(回復期病院)、総合病院での実習、いろんなスタッフといろんな患者さんと関わり、そう感じました。
うちの大学はカリキュラム上、整形疾患には強いですが中枢疾患はあまり強くないので、「自分が理解できてない中枢疾患をもっと勉強したい」と思い、いまの職場に勤めようと思ったんですね。
いまでは理学療法にどっぷり浸かっています!
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